今年は中止となった鈴鹿8時間耐久レース
1985年高校2年生だった私は友人と二人で兵庫県西宮市から電車で観戦に行きました
当時はバイクブームで『バリバリ伝説』の影響からバイクレースも人気があり、決勝の日は人口14万人の鈴鹿市に15万人くらいが訪れる人気イベントだったと記憶してます
前日から私の家に泊まりに来ていた友人と『朝の練習走行も観たいから始発で行こう!』と計画を立てましたが、電車の始発が朝5時頃なのに対し、駅までのバスの始発が6時半
そこで『4時に起きて駅まで自転車で行こう』と計画し就寝
しかし、楽しみで仕方のない二人は遠足の前日の子供のように、興奮状態で夜中の2時過ぎまで眠れません
結局寝坊して、6時半に起きた二人は、慌てて家を飛び出し予定通り駅まで自転車を走らせていましたが、その横をバスが通過
『そうか、もうバスあるやん!』とようやく気付いたものの、今さら引き返せず、そのまま阪神甲子園駅へ向かいました
何とか鈴鹿サーキットについた時には、初めて聞く爆音と、カストロールの臭いに心が躍りました(当時は4スト750ccまでと2スト500ccまでの市販車ベースが参戦可能だったような)
練習走行では、八代選手がヘアピンの立ち上がりに毎週ウイリーのまま次のコーナーまで走り抜けるのを強烈に覚えてます
レースのほうは歴史に残るドラマが生まれたレースとなり、7時間半まで独走していた本命のヤマハチームがエンジン不調により、ちょうど最終コーナーで見ていた私たちの目の前で停止
二位で追撃していたホンダのチームが優勝しました
白子の駅に泊まっていた私たちは帰りのバスが長蛇の列で乗れず、タクシーもなくヒッチハイクをしようかと右往左往しているうちに一時間くらい経ち、気づかぬ間に空いているバスに乗れて、帰った次第です
炎天下一日歩き回った疲れに、満員バス移動でヘトヘトになってホテルに入ったにもかかわらず、部屋に入った途端に友人は有料アダルトチャンネルを見るために100円をつぎ込んでいたのは、いかにも高校生のやりそうな事でした
翌日の昼前にほとんど人がいない白子の駅で、前日のレース優勝したワイン・ガードナーがスタッフ2~3人と一緒に電車を待ってました

今では考えられないセキュリティ体制の中で、誰もサインなどもらいに近寄らない様子でしたが、二人組のファンが10mくらいのディスタンスをとって、ソワソワしているのを見てワイン・ガードナー氏は自ら手招きし
『何ビビってるんだ!サインしてやるからこっちに来いよ!』と、言ってたかどうか当時の英語力では解りませんでしたが、後ずさりする二人に自分から近寄ってまでサインしてました
なんと気さくで優しいのか 数年後のMOTEGIでの事件は想像つきません
線路を挟んだホームにいた私たちは、連絡橋を渡ってサインをもらいに行ける時間は十分あったのですが、二人とも頭から足の先まで日焼けが、火傷のような状態になっており、ベンチに座って一歩も動けませんでした
今から考えたら、なんともったいないことをしたのか、、、
今年のMoto2では息子のレミーがチャンピオンとなり、来年は最高峰のMotoGPに参戦するようです イケメンだし応援したいですね

レミーは小さいころからワインガードナー氏が一緒に走って教えたそうです 愛にあふれてますね
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